5月に母が亡くなりました。最期の2日間は病院に泊まり込んだのですが、その日はちょうど徹夜で疲れた父や兄たちを一旦家に帰し、私がつき添いをしているときに息を引き取ったのです。残念ながら私以外の家族は間に合いませんでした。
人の臨終に立ち会ったのが初めてだったこと、苦しむ母を一人で看取ったことや家族が間に合わなかったこと。その衝撃を引きずったまま1週間後にようやく家に戻ったのですが、今度は2日後、予期せず愛猫が不調になり12日間の入院。もうこれ以上快復の見込みがないということで連れて帰って7日目に亡くなりました。
たったひと月の間に2度もかけがえのない存在を失ってしまったのです。しかし、誤解を恐れずに言えば・・・愛猫の死は私にとって母の時より辛くて悲しい別れだと感じています。
母のお通夜や告別式には私の知らない母の友人や趣味の仲間、孫を介してのお知り合いやご近所さんなど幅広い年代の方々が次々弔問に訪れてくださいましたが、一人残らず私が存じ上げない方ばかりでした。そして、色々な方から私の知らない社交的な母の一面や意外なエピソードを聞くうちに、実家を離れて35年の間に母がどんな事を楽しみとしてどんな事を考えていたのか、娘である私が一番何も知らなかったし、知ろうとしてこなかったなとつくづく噛みしめることとなりました。
一方、愛猫との生活は20年に及びますが彼女との世界はとてもシンプルです。飼い主が知らない愛猫の一面を他人から聞く事もありませんし、当たり前ですが成猫になったからといって自立して家を出る事もありません。言葉は通じないけれど心は通じていると感じていました。また、自分がこんなにも愛情深い人間だったのかと思う程に愛を注ぎましたし、彼女からもたくさん受け取りました。こんな風に命を引き受けた飼い主である私との世界がすべてなのです。
この密で狭い関係性が特別に深い喪失感として表れているのだと感じています。「自分の親なのになんという事を」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実は意外に多いのです。ペットを失って「親のときより悲しかった」という声。
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