二重の喪失
中学生の頃、ある朝突然に愛犬が亡くなりました。不謹慎ですが離れて暮らしていた母方の祖母が亡くなったときよりも現実的な死であり、それは私にとって初めての衝撃的で耐えがたい体験となりました。
当時、専業主婦だった母が一番長い時間を愛犬と過ごしていた事もあり、よく泣いていたのを記憶しています。父や私たち兄弟はそれぞれ会社や学校へ行けば仕事や勉強などで多少気晴らしにもなりますが、ずっとその場所に留まっていなくてはならないというのはかなり辛い事だったのだと思います。主を失った犬小屋、首輪やリードを見ては号泣していました。今思えば私にとっては遠く離れた祖母の死でしたが、母にとっては実母も亡くしたわけですから2重の喪失体験が悲しみに拍車をかけていたとも容易に想像できます。
しかし父は、母と私がいつまでも泣いているのを見るたびにイライラとした様子でひどく叱り、母は冷たい人間だと父を責めていました。私は子供ながらに「父は悲しくないのだ、愛犬の事が好きではなかったのだ」とショックを受けそれ以降父のまえでその話はタブーとなりました。
それぞれの役割
このように一つ屋根の下の家庭内での出来事であってもそれぞれの立場やペットとの関わり方で反応が違うことがあります。父は時代背景も手伝い、男とは父親とは強いものであり動物ごときのためには女のように泣いたりしないし動じてはいけないという役割を演じていた、或いは自分の悲しみや苦痛を認めたくないが為に「怒る」という感情にすり替えていたとも考えられます。それを見た兄も父にならって何事もなかったかのように振舞っていました。泣く事が良いか悪いかではなく、感情を無理に抑え込むことが問題だという事です。
悲しみから回復するためには同じ体験をした家族同士こそがコミュニケーションをとるのが大切だと考えます。亡くしたのは通りすがりの散歩中の名前も知らない犬ではなく自分たちと暮らしていた大切な家族の一員なのですから。このように、それぞれの素直な感情を表出しない事で、ペットを亡くすことは大したことではないという概念が刷り込まれ、人に話すのがためらわれたり気が引けたりすることにもなり、悲嘆からの回復が難しくなる原因になります。是非、話してみてください。
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