飼い主にとって動物たちはただ可愛いだけの存在ではありません。ある時は、どんな時も変わらぬ愛着を示してくれて、自分を必要としてくれる子供のように。沈んだ気持ちの時は、何も言わずそっと傍に寄り添ってくれる良き友人や恋人のような存在でもあります。
言わば彼らは、家族や人間関係のいろんな役割を果たして飼い主を精神的に支えてくれる頼もしい存在でもあるのです。それゆえに、失くしてからもそう簡単には過去の遠い思い出という位置づけにはなり難いものです。「なぜ、こんなにも悲しみから立ち直れないのでしょうか?」と訊かれる事があります。しかし、失ったのは動物の姿をした子供や恋人、家族や一番の親友なのだと考えると自然な事なのです。
たとえ最期を看取ることができたとしても、無垢な心のあの小さな頼りない体で、
こちらがまだ体験したことのない未知の世界へ、たった一人で行ってしまったのです。
ー その世界は明るいのか 暗いのか
ー 暖かいのか 冷たいのか
ー みんなといるのか 一人ぼっちなのか
ー 私のことは覚えているのか いないのか
ー この世では肉体を置いていったが そちらではどういった姿でいるのか
そして・・・いつかその日が来たなら、また会えるのだろうか!?
この答えの出ない問いは生きている側の永遠のテーマなのかもしれません。そう、生きている私たちの誰もが見たことも経験したこともない世界。この得体のしれない世界への恐れこそが悲しみの元凶なのですね。もちろん死生観や宗教観にもよりますが。
ペットを失った方たちの間で、とても有名になった「虹の橋」(作者不明)をご存知の方も多いと思いますが、今や世界中に広がった癒しのストーリーとなりました。言い換えれば、愛する動物たちとの別れは人種を超えて誰にとっても辛い出来事なのだということが言えます。この世で生を終えた彼らの肉体が、老いや痛みや苦しみから解放され明るくて穏やかな世界で不自由なく楽しく暮らしている。そう、いつかまた愛する飼い主との再会を楽しみに。
このストーリーが真実かどうかではなく、そうであってほしいという願いも込めて、残された側である人間の恐れや不安や悲しみを和らげるのに役立っているのは事実です。
そして、残された我々もまた愛おしい彼らと再会できるという確約があるならば、今生ではしばしのお別れという気持ちで過ごすことができます。やがていつの日か自分も天寿を全うする日を迎えたとしても、死に対する恐ればかりではなく、念願のあの子に会えるという明るい光をも感じる事ができるとも思いませんか?
もちろん、再会できるまでにはまだまだ時間があるかもしれませんが、何より最期まで精一杯「生」と向き合った彼らを見習って、今は自分の中に生き続けているあの子を感じながら、ゆっくりと大切に生きていきたいですね。いつか逢えるその日まで。
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