不寛容と孤立感

 日本では欧米と違って、まだまだペットの死を軽視する傾向にあります。そのため、ペットを失った方がその悲しみの感情や強い苦痛を周囲と共有したり共感できないという社会的環境が、ペットロスの悲嘆を長期化させている原因にもなっています。

 例えば、ペットの具合が悪くて病院へ行きたいという理由で仕事を休んだり、早退できるという恵まれた環境はごく稀ではないでしょうか?ましてやペットのための忌引きなどもありません。
 元気なうちは日中もお留守番をさせて気兼ねなく仕事に出かける事ができますが、具合の悪いペットを置いて出かけなくてはならないのはとても辛く心配なものです。人間の家族なら事情を説明して休暇を取る事もできますが、ペットとなると社会はそんなに寛容ではないのが現実です。

 今なら見守りカメラやペットシッターを利用するなどの方法もありますが、私自身、当時は別な理由をつけて休みを取得したことや早退したこともあります。しかし、余計な嘘をつかなくてはならないための罪悪感と、周囲に秘密にしていたせいで孤独感に苛まれました。本当の事を話したところで「え?ペット?」という無理解が怖かったのです。

 また、ペットロスを経験した人と感情を共有できれば良いのですが、たとえ動物好きの方といえども性格や思考、更にはペットとの関わり方も様々です。その場合は、理解し合えるものと期待しただけに捉え方の違いに驚いたり、ガッカリする事も少なくありません。ましてや家族同士なのに反応が違って戸惑ったというお話もよくあります。

 私は毎週のように動物病院へ通っていたため、顔なじみの飼い主さんとお会いする事も多く、待合室でよくお話をさせていただきました。毎週のようにお会いするという事は、その分ペットに対する想いも共通する事が多いと感じています。何しろ、時間と労力とお金を費やしてでも、できる限りの事をしてやりたいという考え方が同じだからです。

 このように、動物病院はそもそもが同じ目的で集まっている場所なので共感や理解が得られやすいところでもあります。皆、我が子同然のペットの健康を案じながら、お互いに励ましたり励まされたりしながら癒されていたようにも感じていました。いま思えば、自然と自助グループのような役割を果たしていたのですね。(自助グループとは:同じような問題や悩みを抱えた人達が集まり援助し合うこと)

 ペットロスは悲嘆感情を抑える事が何より良くない事ですが、無理に周囲に理解してもらおうとせずに、わかってくれる方にのみお話する事をお勧めします。悲しみの真っ只中にいるときは、ただただ話を聴いて共感して欲しいものですよね。最初は何を言われてもどんなアドバイスもそう簡単には響かないものですから。

 Paw Loversでも、今後は定期的にシェアリングの会を催していく予定ですので、なかなか周りに同じ想いを分かち合える人がいない!という方は是非一度ご参加してみてください。それぞれが皆、愛するペットを想ってとても暖かい時間が流れている場所でもあります。

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