季節が一巡するまで

 朝起きた時や外出から帰った時「あぁ、本当にもう居ないんだ。」と、しみじみしている今日この頃です。ペットと暮らしている人は、生活の中心がペットになりますよね。例えばそれがワンちゃんだったら、お散歩を待っている彼らのために寒い日も雨の日も、冬ならきっとまだ暗いうちから眠い目をこすりながら気合を入れて起きた事でしょう。
 そこには毎日同じ時間帯にお会いするおなじみの犬仲間がいたり、お気に入りのお散歩コースがあったり。季節の木々や花や匂いなども愛犬と一緒に感じていた事だと思います。それゆえに愛犬を亡くしてからそのお散歩コースが通れなくなったという方も多くいらっしゃいます。いったいどのくらい経ったら一緒に見た景色を想いながら心の中の愛犬を連れて歩けるのでしょうか。

 我が家の場合は猫なのでお散歩はありませんが、ご飯の催促で起こされたり、トイレ掃除やブラッシングなどのお世話がなくなってぽっかりとしています。お買い物でよく立ち寄っていたペット用品のコーナーだって今や悲しさを連れてくる場所の一つになってしまいましたし、足しげく通っていた動物病院の付近もまだ平常心では通れそうにありません。きっと今度の冬が来たら[お布団に入ってこない]という新たな悲しみを味わう事になるのだろうな・・・と今から恐れています。こんな具合に、季節が一巡するまではその度に新たな悲しみが募るのだと思います。そして、お別れした季節がちょっと苦手になるかもしれませんね。

 以前飼っていた猫は年が明けて3時間後に息を引き取ったので、4年経った今でも除夜の鐘が鳴りだすと心がざわざわとして悲しい気持ちになってしまいます。しかし、除夜の鐘は毎年鳴るわけで新年はどこにいてもやってきます。そうやってどうしてもあの瞬間を思い出してしまうのだから敢えてその日を想い出す日として、亡くなった事だけでなく楽しくてかわいい写真を見返しては泣いたり笑ったりしながら浸ることにしています(ほぼ泣いてますけど)。更に来年からはアジサイを見ると悲しい気持ちになってしまうのだろうなと想像しています。

 それほどまでに大好きで大切な存在という事ですね。今はまだ悲しい気持ちでいっぱいですが、いつの日か自分の心の中に生き続けているなと感じられる時がきっと来ると思っています。彼らの活き活きとした姿を想い出してあげられるのは飼い主しかいないのですから。
(Photo by アクセルさん)

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