もう二度と飼わない!

 最初の猫を亡くした時にそう思いました。あまりにも悲しくて辛くて、もう二度と飼うまい!という気持ちでした。
 それは『もう二度とこんな悲しい思いをしたくない』『亡くなった子の想い出を裏切るような気がして』『もうあんなに愛せる子はいない』といった理由からです。

もう二度とこんな悲しい思いをしたくない
 多くの方がそう思うのではないでしょうか。では、いっそ出会わなければ良かったと思っていますか? どうしても亡くなった時の辛さばかりに捉われてしまいますが、一緒に過ごした豊かな時間や愛情あふれる体験は、色褪せる事のない想い出としていつまでも私たちの中に生き続けています。何より、彼らもきっと飼い主さんからもらった沢山の愛情や想い出を抱えて旅立ったはずです。

 以前、猫を亡くした上司に「動物って先に逝ってしまうから辛いですよね」と慰めのつもりで言葉をかけたところ、その方は「うん、いいんだよそれで。まさか残していくわけにも行かないからね」とおっしゃいました。思わず「そりゃそうだ」と激しく納得したのを覚えています。最後まで見届ける事は飼い主としての使命でもあり、幸せな事なのだともその時思いました。

亡くなった子の想い出を裏切るような気がして
 私は、最初の子を亡くして10ヵ月経った頃にたまたま迷い猫に出会ってしまいました。見かける度にガリガリに痩せていくのです。もう無視するわけにはいかないと、一旦保護して飼い主さんを探すべく奔走しましたが見つかりません。こうなったら自分が飼うしかないことは最初からわかっていました。しかし、当時は亡くなった子の想い出に新たな猫が踏み入ってくるような、不安や罪悪感のようなものを感じていたのです。
 ところが、新たな子は私の中の亡くなった子の想い出を侵食することもなく、置き換わるわけでもなく、むしろ私の心の新しい領域に居場所を作って住み始めたように思います。

きっと、もうあんなに愛せる子はいない
 この時に出会っていなければ積極的に新しい子を迎えようという気にはなれなかったかもしれません。正直なところ、初めは前の猫と同じように好きになれるだろうかと不安に思う気持ちがありました。恐らく、無意識のうちに違う個体に対して同じ事を期待してしまっていたからだと思います。しかし、一緒に暮らすうちにそれぞれ違う個性で違った可愛さがあり、新しい発見や楽しさにも出会いました。そうやって、決して身代わりの猫ではない事に気付いたのです。

 私は最初の猫に後悔や自責の念を強く感じていたため、今にして思えば、この子が最初で最後の猫だというような忠誠心や執着心にも似た気持ちがあったのかもしれません。しかし、たまたま縁あって出会った猫のおかげで、ならば前回の後悔を無駄にせず精いっぱい幸せにしようと思えるようになりました。
 もとはと言えば、最初の子が猫と暮らす楽しさや幸せを教えてくれたからこそ、その後の出会いもあったのです。つまり、その後に出会ったすべての猫たちも皆、最初の猫を愛した延長線上にいるのだという事ですね。
(写真左が2代目の猫 まりも♂)

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