魂の痛み-スピリチュアル・ぺイン

 聞きなれない言葉かもしれませんが、スピリチュアルと言っても、この場合は日本で一般的に言われるところの霊的な力や宗教的なことではありません。

 すべての生きものは亡くなることで肉体が消滅します。確かに共に生きて、ここで互いにコミュニケーションをしていた愛おしい存在が、ある日を境に目の前から文字通り消えてしまうのです。例えば大切なペットを失った時にこんな風に考えた事はありませんか?
「どうして死んでしまったの?」
「生きていく支えを無くしてしまった」
「いつか自分が死んだらまた会えるのだろうか?」
「あの子の魂は今どこにいるのだろうか?」

 このように、大切なピースを失ったことでもう元通りの世界を取り戻すことができない現実は、なかなか容認できるものではありません。また、もう助かる見込みがないとわかった時からこの自問自答が始まります。 余命という残された時間を、その日が来るのを今日か明日かと恐れ
「なぜこの子がこんな目に合わなくてはならないのか」
「なぜ自分なのか」
「何か悪いことでもしたというのか」
「この子が生まれてきた意味はなんだったのか?」
など、 死の恐怖や死後の世界、生きる意味や目的について、或いはそもそも生まれてきた事の意味などといった簡単に答えの出ない問いについて苦悩することがあります。しかし、誰も明確な答えを持っていない問いであることは明らかです。

 この解決できないがゆえに苦しい心の痛みの事をスピリチュアル・ペインと言い『魂の痛み』とも呼ばれています。そして、これこそが愛する者の喪失の悲嘆からなかなか立ち直れない大きな原因の一つなのです。言い換えれば、それほどまでに愛する存在を失ったからこそ直面する痛みだとも言えます。なるほど、肉体的でもなく精神的でもない痛み、例えようのない苦しみの正体は『魂の痛み』なのか!と思うと腑に落ちますね。

 しかし、楽しかった時間はもちろんですが辛く苦しかった時間も、その時に感じた気持ちや思いに何一つ無駄な事はありません。むしろ苦しんだり悲しんだりした痛みの分だけ、もっと優しくなれるのだと思います。

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