1年前の今頃、入院中の母を見舞うために東京と田舎を行ったり来たりしていました。ちょうど桜の開花だよりがチラホラと聞こえはじめ、街を行き交う人々も軽やかな春の装いになったころでした。真新しいスーツ姿の新社会人や学生さんたちの夢と希望に満ちた表情と、自分が置かれた状況とのギャップに押しつぶされそうな感覚になったことを思い出します。
その頃は、後に母だけでなく愛猫との別れが訪れることをまだ知りませんでした。こんな具合に、満開の桜をみただけで当時の前後の憂鬱さと苦しい気持ちを、止め処もなく再体験してしまう今日この頃です。
また、先日は母を亡くしてから初めて迎える私自身の誕生日でした。これまで、誕生日は自分の生まれた日という意識でしかありませんでしたが、当時の母が私を出産して「おめでとう!」と、周囲から祝福された日でもあるのだと今更ながら気づき、もうこの世に存在しない事に改めて悲しみを感じています。折しも、来月4月には愛猫めるもとみりんの誕生日を迎えます。 特に、めるもを亡くしてからは初めての誕生日です。
このように、命日や誕生日、お正月やクリスマスなどのイベントが近づくにつれ、亡くなった時に感じた苦しい悲嘆感情が蘇って、もう一緒に過ごすことのできない事を思い知らされ、深い喪失感が再燃してしまいます。これは、記念日反応(アニバーサリー反応)と言い、誰にでも起こる自然な反応です。
特に初めての命日は心の揺さぶりが大きいと言われています。少しずつ日常の生活を取り戻していたのに、また悲しみの感情が引き戻されてしまい、精神的だけでなく、体に不調が表れる場合もあるようです。
そして記念日は毎年やってきます。このような気持ちになる事をある程度想定して、どう過ごすかを事前に備えておく必要があります。家族や理解してくれている誰かと想い出を話す、好きだったご飯やお花を供えるなどはもちろんですが、やはり写真やビデオを見返すこともおすすめです。
写真は写っているその瞬間だけでなく、撮った時の光景や季節や気持ちなど、当時の情景も連れてきます。きっとかわいい瞬間を収めようとカメラを向けたわけですから、いろんな楽しいエピソードを思い出すかもしれませんね。今は、デジタルのデータとして写真を保存している方も多いと思いますが、プリントして当時のシチュエーションをコメントするなどアルバムにするのもいいと思います。
何しろ、活き活きと身近にいる事を感じる事ができるアイテムでもあります。今は想い出すことも辛いと思うかもしれませんが、いつか、その想い出が柔らかな温かい時間として感じる時がきっとやってきます。
しかし、そのことで逢いたい気持ちが募り、新たな悲しみを誘うかもしれません。そんな時は泣きたいだけ泣いてしまってよいのです。自分の感情を認めて、押さえこまずに表出することが大切です。いつまでも悲しんでいてはいけない、早く元気にならなくちゃなどと頑張る必要もありません。このように、記念日には悲しみの感情が再燃する事を理解しましょう。
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