今回は予期悲嘆に注目してみます。例えば、高齢や治る見込みのない病気などで死が避けられないとわかった瞬間から喪失の悲嘆が始まります。昨日までは、まだまだ無関係だと思っていた「永遠の別れ」という到底受け入れられない衝撃に、日常生活や心の平穏が脅かされる事になってしまうのです。
「何かの間違いであってほしい!」「そんなはずはない」という激しい拒絶感や諦めきれない気持ちで、ちょっとした体調の変化に反応して神経が過敏になったり、悲しみがこみ上げたり不安な気持ちになるなど、実際に喪失した時と変わらない強さの精神的、或いは身体的ストレスを受ける事があります。
このような予期悲嘆を経験した場合、ある程度の心の準備ができるので、実際のお別れの際は衝撃の度合いが少ないと思われがちですが、そんな事はありません。前もって今しかできない事をやる、或いは出来る限りの最善を尽くすなどの準備や心構えができる反面、実際の死が訪れる前から、長い時間「緊張と悲嘆と恐れ」の最中にいる事にもなるからです。
我が家でも愛猫が難治性の病気と闘いました。高齢だったせいもあり、治らないとわかってからのこの2年半はいつも最悪の事態が頭から離れる事などなく、心の準備や覚悟はできませんでした。逆に、いざその日がやってきた時は「なぜ今日なの!?なぜ今なの!?」という気持ちにさえなりました。つまり、死はどんな状況であっても『突然で唐突な事態』なのだという事を実感しました。
更に、もう治療の手立てがなく、日一日と苦しみながら確実に死に向かっている姿をただ傍で見ているしかなく、安らかな旅立ちと言い難かった場合はその後の強い悲嘆感情が続く原因の一つにもなります。
最期はおうちで・・・と考える飼い主さんも多いので、いずれその瞬間に立ち会う事になります。旅立ちが安らかであれば、ケアしたことが多少なりとも達成感となり、精いっぱい看取れたという納得感にも繋がりやすいとも言えるのかもしれません。
しかし、看護も介護も愛おしい時間です!死の恐怖ばかりにとらわれずに、今、目の前に生きている子がいる喜びを味わいながら、どうか大切な時間を過ごしてくださいね。
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