1年経っても哀しい気持ち

 ちょうど紫陽花の頃です。最愛の猫めるもが旅立ったあの日からついに1年が経ってしまいました。案の定、その数日前から心がザワザワとして1年前の悲しさが苦しみとなって蘇り、命日の前夜と当日はその気持ちがピークに達していました。アニバーサリー反応というやつです。無意識のうちに、亡くなった前後の事ばかりが何度も繰り返し鮮明に思い出されるのです。そして、冷たく固くなっためるもの傍でいつまでも泣き続けたあの時の自分の姿が浮かんで悲しみが増しました。 

 この1年、今は苦しくて仕方がないけれど時間が経てばきっと悲しみも癒えるだろうと思って過ごしました。しかし、めるもが居ない初めての夏、初めての秋、年越しにお正月、桜の季節・・いつもいつも去年の同じ季節を想い出しては比べてしまいます。こうして時が経つほどに「いよいよもう取り戻すことができないのだ」ということを改めて実感し、想いが強くなっていくのを感じた1年でもあります。 

 今でもふと、めるものハスキーで特徴的な「ひゃー」という鳴き声が聞こえてハッとする事があります。もう目の前には居なくて、新しい経験やこれ以上の想い出が増える事は叶いませんが、いつも私の心の中に住んでいます。
 しかし、こうして月日が過ぎるほどにめるものやわらかな毛並みや匂いや鳴き声、撫でる度に力強く顔や頭をスリスリしてくる感覚、あの小さな手の肉球の感触や走り回る時の足音といった、五感で感じていたリアルな記憶がだんだんと遠くなっていくようで寂しい気持ちなのです。 

 一度などはめるもが死んだ夢をみてしまいました。泣いている自分に気が付いて目が覚めたのですが「あぁ、夢ではなかった」と我に返り、更に涙がこみ上げた事もありました。ところが、ようやく先日初めて元気な姿で夢に現れてくれました。しかも、5年前に旅立った姉妹猫のみりんと共に部屋中を駆け回っていたのです。悲しんでばかりいる私に「みりんと一緒に楽しくしているから心配しないでね」というメッセージだったのかもしれませんね。
(写真は2007年頃の めるも(右)みりん(左)姉妹)

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