葛藤 ー 誰の為の治療か!?

すべての命には限りがあります。頭でわかっていても、いざとなると執着するものです。

 我が家の猫(めるも)は慢性胆管拡張炎でした。2年半の間に10回の入院、改めて数えてみると通算60日間入院していたことになります。なんと通院だけでも150回です。
私なら「もぉいやだー!!いい加減にしてよー!!」と、悪態をつきたくなるほどの数です。家では朝晩の皮下点滴をされ、薬なんかも飲まされます。
(咽頭チューブからの投薬だったので、だいぶ負担は少なかったとは思いますが)

 とはいえ、10回の入院の間は悩んだこともあります。無理をさせているんじゃないだろうかと。もちろん、延命するだけの治療はしないと決めていました。でも治療によってめるものQOLが向上する間は頑張ろう。そして、そんな治療の甲斐あって食欲も元気も取り戻し、最期まで20歳とは思えない程のずいぶんと活発な猫らしい姿を見せてくれました。間違いなく、あの治療がなかったらとっくに無かった命です。
 理解のない人には 「え?いくらかかるの?」とか「猫にそこまでするなんてエライわね」とも言われたものです。

 入院は長い時で2週間に及んだこともありました。「なんでここに居るんだろう。みんなはどこにいったのかな。」具合が悪い上に知らない匂い、狭くてくつろげない環境に独りぼっちで、ずいぶんと心細く辛かった事だろうなぁと思います。それでも毎回治療に反応して見事に復活してくれました。退院して家に帰ると嬉しそうに尻尾をピンとたてて家中を歩き回ったり、やたらと鳴いて話しかけてきたものです。(抗議だったのかもしれませんが・・・)

 しかし、10回目の入院は大きく状況が違っていたのです。6日目に大幅に回復したためそろそろ退院の予定でしたが、翌日から状態が一変してしまいました。いままでずっと正常値だった腎臓の数値が急激にとんでもない異常値に跳ね上がってしまったのです。
静脈点滴に効果がなければ家での皮下点滴の効果は望めません。祈るように、更に入院治療を続けました。朝晩と面会に行き、毎回後ろ髪をひかれるように帰宅します。
先生とも何度も相談し、もう少し、あと一日と・・・迷って更に6日が過ぎました。

 家に連れて帰るということは、今かろうじて高止まっている数値が更に上昇するということです。命をあきらめるということです。
「私にかかっている・・・。」しかし、力なく視線を合わせためるもを見て決心しました。もう帰ろう。残された時間はせめて家で一緒に過ごそうと。

 案の定、退院後は強い吐き気が増していくのが目に見えてわかりました。ろうそくの灯が細く短くなっていくように、日に日に命の灯が小さくなっていくのを感じました。
もう私にできる事は傍にいることだけです。あと少し入院を続けたら数値が下がっただろうか。せめてこんなに吐き気に苦しむことにはならなかったのではないか。答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると巡りました。

 あれから10か月経過しましたが、家でしっかり看取れたことは何よりめるもにとっても良かったと思っています。もちろん私にとっても。めるも、よく頑張ったね。
 この回を書くにあたり最後の経緯を見返すことはまだまだ辛い作業でした。今頃、天国で「幸せな猫生だったなぁ」と思っていてくれるでしょうか。 (=^・^=)

※写真は2006年7歳のまだまだ若いめるもです

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