「男は泣いてはいけない!」このような子供の頃から刷り込まれた自己概念は大人になるにつれ強固なものに成長し、悲嘆を解決するために本来必要である感情表出の妨げになる事があります。
概して男性の場合は女性や子供のように悲しみの感情をあらわにすることを自分にも世間的にも良しとしないため、同じ喪失体験をした家族間にも関わらず感情が共有されにくい事が起きてしまうのです。たとえば、いつまでも泣いている妻や子供に苛立ち「怒り」という感情で対応すると、悲しみを否定された側は亡くなったペットの存在すら否定されているような気持ちになり、喪失の悲嘆から回復するプロセスに入れないばかりか、一つ屋根の下で気づまりな状況が生まれることにもなります。
先日、齢80を超えた父と話をしていた時のことです。ふと父の方から昔飼っていた愛犬の話を始めました。こんな遊びが好きだったとか、こんな反応が可愛かったなど他愛もない内容でしたが私は内心とても驚きました。なぜなら、当時父は私たち家族の前では特に愛情をもって接している素振りを見せなかったからです。亡くなった時は最も顕著で、泣いている私たちを叱り、何事もなかったかのように終始淡々としていた表情が冷たいとしか言いようのない記憶として私の胸に刻まれていたからです。
40年経った今になって、実は父の中にも愛犬は愛すべき対象であり良い想い出として生きているのだなとわかり、この上なく嬉しい気持ちになったと同時に感情を開放できない環境で育った父の時代背景や、男子たるものという教育は根強いものだとしみじみ実感したエピソードでした。
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