忘れるちから-ペットロスの悲しみ

 ここ数年、めるものお世話を中心とした生活を送っていたため、「この子を失ったら私は一体どうなってしまうのだろう」と常に恐れる気持ちを持って暮らしていました。そんなことになったら自分が壊れてしまうのではないか…と想像して、立ち直れる気が全くしませんでした。 

 それがついに現実になった日、私は予想通り “想像以上の深くて長い悲しみ” に陥ってしまいます。すべてのことに無気力・無関心となり、人混みや誰かと話す、外に出かける、家事をするなどの日常の基本的な事まで億劫に感じてしまいました。睡眠すらままならない状態ではありましたが、眠っているときだけが唯一悲しみから解放されている時間だったと言えます。
 そして、目が覚めて現実にかえると「あぁ、また今日も続きが始まるのか」といった調子で以前のように日常を楽しんだり、他愛のないことで笑ったりする自分がなかなか取り戻せませんでした。 

 あれから8か月経った今、日常を取り戻してはいますが、寂しい気持ちや悲しさ、逢いたいと強く思う気持ちは全く変わりありません。相変わらず、毎日めるもとの暮らしを思い出しています。しかし、以前とは違い最近は可愛かった仕草、表情や鳴き声、遊んでいる姿や楽しかったエピソードを思い出しては思わず笑みがこぼれることがあります。
 そう、元気な姿のまま私の中の思い出回路に登場する機会が増えたのです。亡くなったという現実よりも生きて存在していたという事実に気持ちを向けられるようになったのですね。これこそが「忘れる力」に他なりません。

 ところで、犬や猫など動物にとって親兄弟と生涯を一緒に過ごすことは稀です。
むしろ子供の頃に意図せず離ればなれになってしまうことの方が多いのではないでしょうか。もしも、そんな彼らが行方不明の親や二度と会えない離れた兄弟を想い、人間のようにメソメソとしたり、思い出してはさめざめと泣くといった感情表現をする動物だったとしたら・・・!?
 その人生(猫生や犬生)はあまりに辛すぎて生き辛いと感じることでしょう。このように考えると、過去や未来を憂いたりせず、目の前にある様々な状況に適応してその時を全力で生きる強さは動物たちに与えられた優れた能力だと言えます。

 一方私たちは、時には想い出して偲ぶこと、たまには逢いたさが募ってさめざめと泣いてしまうこと、これは人間に与えられた能力だと思って存分に味わうのがいいのだと感じました。 

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