我が家には、”まりも” と “めるも” と “みりん”という仲の良い3匹の猫がいました。見た目も性格も三匹三様でそれぞれの可愛さがあり、3匹で走り回ったりじゃれあったり、くっついて団子になって寝ている姿を眺めるのは多頭飼育ならではの醍醐味です。おかげで、毎日とても楽しくて賑やかな時間を過ごすことができました。しかし、誰の上にも同じように時は流れます。ついに避けては通れないお別れの時がやってきてしまいました。
思い返せば、まりもが旅立った時はそばにみりんとめるもがいてくれて、随分と慰められました。そして、みりんの時はそばにめるもがいてくれたのです。そのおかげで何とか乗り越えることができたと感じています。しかし、今回はついにそのめるもが旅立ってしまったわけです。
いよいよめるもの具合が悪くなった頃から、歴代の子たちを亡くした時の感情が蘇り「あぁ、またあの喪失感を味わなければならないのか」「この子がいなくなるなんて私はもう耐えられない」という絶望的な気持ちに支配されていました。つまり、差し迫った喪失の予感によって、まりもとみりんの時に体験したそれぞれの強い悲嘆感情も併せて再度体験してしまったのです。悲しみは何度経験しても慣れる事がありません。むしろ、今まで経験した悲しみをも引き連れてくるように感じます。
しかし、こんな調子でつい自分本位の悲しい気持ちが先に立ってしまいがちですが、まりもやみりんが旅立った時はきっとめるもも寂しかったに違いないのです。みりんが亡くなる5日前、すっかり痩せて弱っている彼女の傍にそっと寄り添ったのを見た時にそう確信しました。今頃は、また3匹で楽しくじゃれ合いながら、悲しんでばかりいる私の傍にみんなでそっと寄り添ってくれているかもしれませんね。
(写真は左から みりん♀、まりも♂、めるも♀)
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